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「大義名分(たいぎめいぶん)」 ⇒人として、また、臣として国家や君主に対して守るべき道理・本分や節義。 ある行為のよりどころとなる正当な理由や道理。 「大義」とは人のふみ行うべき重大な道義。特に、主君や国に対してなすべき道。 「名分」は道徳上、身分に伴って必ず守るべき本分。君に対する臣としての本分、親に対する子としての本分などを表す。 (出典:三省堂 新明解四字熟語辞典)  1995年3月20日月曜日。高校入学を控え制服を作るための採寸を終え帰宅したところ、ちょうど昼時で普段は家事で忙しく動き回っているはずの母がテレビを食い入るように観ていた。画面には尋常ではないテンションで何かを捲し立てるレポーターと、道端に寝かされたサラリーマンたちを救急車に運び込むが消防署員の姿が映し出されていた。 何かとんでもない事件が起きたことだけは分かったが、まさか世界一安全と言われる日本を転覆させるような大きなテロ事件が起きているとは思いもよらなかった。 オウム真理教による地下鉄サリン事件。 現行憲法に基づく民主主義体制を廃し、教祖である麻原を独裁的主権者とする祭政一致の専制政治体制を日本に樹立することを目的とした凄惨かつ大規模なテロ事件が起きた。 「主君」である教祖麻原を頂点としたオウム真理教という「国家」に忠誠を尽くし本分を果たした信者たちの「大義名分」は、その閉ざされた小さな「国家」の外側の人間にはとうてい理解することはできないもので、メディアでは有識者たちが加害者の生い立ち、動機、現在の状況などから、それぞれの知見で空前絶後のテロ事件を語った。 対して、被害状況は◯人負傷者が出た、◯人亡くなった...という数字が提示されるばかりで、私にとっては他人事、現実感を伴って被害を実感することはできないでいた。  過熱した報道は加害者、被害者の区別なく個人情報、プライベートを奪い去る。 しかしいつの間にか報道される機会はパタリとなくなり、マスコミは次のターゲットに食いつく。そうして人々の関心は次へ次へと移り変わる。私の意識からもしばらくのあいだ消え去った。 2018年、唐突に麻原をはじめとした幹部達の死刑執行の報が流れた。事件は一様の幕を閉じたようだが、その被害者やその親族の肉体的、精神的な障害やそれに付随する苦しみはずっと続いていく。そして彼らの存在や現在の状況はほとんど顧みらることはなかった。  歴史は繰り返される。 オウム事件以前には、1923年の関東大震災朝鮮人虐殺事件、1936年に起きた二・二六事件。太平洋戦争においては、各地の空襲被害者や神奈川県寒川町、平塚市、茨城県神栖市、千葉県銚子沖などの日本軍遺棄化学兵器被害者たちの存在。 戦後も、日本赤軍によるあさま山荘事件などが世間を賑わせてきた。 また政治家が犠牲になった例としては1960年の浅沼稲次郎暗殺事件、2022年には安倍晋三襲撃事件が起きている。  年代や社会情勢、被害者数などはそれぞれ違うが、どれも加害者なりの大義名分を背景に起きた事件である。 人が何かを実行するためには、その行動の理由付けや道理を必要とし、それに起因する多少の犠牲には目を瞑ってしまう。加害者側にとっての「大義名分」は常に自分勝手な口実に過ぎず、目的を果たしてしまえばそれでお仕舞いだ。 人々の関心は一時的に爆発的な関心を集めすぐに忘れ去られる。第三者にとっての事件はそこで終了だが、当事者、特に犠牲となるなった人たちの被害や苦しみはその後もずっと続いていく。  この作品を通して、日本社会を揺るがした大事件が、被害者やその家族に与えてきた影響、そして被害者側からみた事件として描きだす。

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